スクールニュース vol.574
編集部より 山形県米沢市にも古き良き時の懐かしい学校建築が残る
先日、山形市及び周辺の学校取材で訪れた時に、少々時間に余裕があったので、山形市内の旧学校施設を巡ってみました。同市は、先の第二次世界大戦では、日本の県庁所在地の大部分が空襲を受けたそうですが、山形市は免れることができたと聞きました。しかし、山形市に続く第3の都市酒田市は空襲を受け犠牲者も出たと聞きます。山形市と同様に、第4の都市米沢市も空襲にあっていないと言います。山形市に関しては、月刊スクールアメニティ2015年7月号で、「懐かしの学校は今」「廃校活用」で取り上げたので、ご記憶の読者もいらっしゃると思います。
その1つが、山形市中心部の小学校で、見事に再生リニューアルして、「山形まなび館」として、市民活動の場となっています。
また、山形市霞町の霞城公園内にある「旧済生館本館」です。この建物は、明治の宮大工たちの手により文明開化の象徴として建設され、昭和の職人たちの努力と技術により移築復元された病院建築でした。明治期医学学校として活用されたと聞いています。建物は木造下見板張り、塔屋を設け、3層4層建てで、中庭を囲む(14角形)回廊が建物を廻る洋風のデザインと伝統的な木造建築が融合する山形を代表する擬洋風建築の1つです。
さて、前置きはこれで終了させて、本題に入ることにします。山形県第4の都市米沢市にも、懐かしいよき時代の学校建築を見ることができました。
これは、敢えて結び付けるのではないですが、わが国の戦後の学校建築づくりを導いてきた故長倉康彦先生の引き合わせではないかと感じています。なぜなら、今回の取材は長倉先生計画の米沢市の「学校法人九里学園」の「教科教室型」を取材するためでもありました。昭和10年建築の木造校舎旧館を見学させて頂きました。同校舎は、大正建築の意匠で、戦前に建築された建物ですが、今でも教室の一部や事務室として使用されている国登録有形文化財でもあります。
九里学園(理事長・校長:九里廣志氏)は、明治34年に開校した九里裁縫女学校の旧校舎、戦後に米沢女子商業高校となり、平成11年、男女共学の九里学園高校となりました。旧建物の連続して、RCの校舎が設けられています。この校舎が、長倉先生が計画された「教科教室型」を、今でもその理念は継承され運用されていました。
次に、よき時代の懐かしい学校建築は、「旧米沢高等工業学校本館」です。現、山形大学工学部校舎で明治43年竣工されたルネッサンス様式の木造校舎で、緑地、林の中にシンメトリーな建物が印象的です。この校舎は現在のJR山形新幹線米沢駅舎のモデルとなったようです。
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