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Posted on 2022年8月16火 in スクールニュース

スクールニュース vol.660

月刊スクールアメニティ編集部  下野市薬師寺の学校を訪ねて

8月3日(水)、4日(木)、天候不順の中、群馬県・栃木県の北関東地区の学校3校の取材を行った。
1日目の8月3日は、気温が39度に達する危険な酷暑日で、2日目の4日は、午前中は曇天で気温は下がったものの、湿度が高く体にまとわりつくような暑さであった。午後になると、それこそバケツをひっくり返したような雨が断続的、局地的に降り、その後も雷雨を伴い激しい雨に襲われ続けたが、なんとか無事に取材は完了した。
取材校では、夏休みでありながら大変好感をもって歓迎していただけた。
3日の撮影は暑さ以外は特に問題がなかったが、4日は曇天・雨のため、外観撮影の条件としては最悪であった。
4日の午後からの取材校であった「栃木県下野市立南河内小中学校」は、義務教育学校だが名称に義務教育学校を使用していない。(校種として、同校は義務教育学校であるが名称に入れなくても可能)
南河内小中学校校舎は、関東と東北を結ぶ大動脈である国道4号(日光街道など)を宇都宮方面に向かう途中の右手に見える校舎で、この一帯は薬師寺という。
取材の申し入れ時に伺った所在地名が気になっていたこともあり、校長先生へのインタビューの最後に、「薬師寺」の由来についても聞いてみた。
薬師寺は、奈良の薬師寺が代表格で、寺名としても全国に宗派別に多数あることは知っており、また、名字としてもプロボクシングの薬師寺保栄選手を通して知っていた。
前置きが長くなったが、この薬師寺地名は、この地の「下野薬師寺」に由来し、同寺は日本の三戒壇があった名刹であった。日本の三戒壇とは、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺、そしてこの下野薬師寺であり、東山道足柄以東坂東10カ国の僧侶になる者は、すべて下野薬師寺で修行し、授戒をしなければならない定めになっていたと云うことだ。
創建以来、薬師寺としていたが、1339年、足利尊氏が古代の国分寺にならって、全国に安國寺を建立した際、下野国には薬師寺が存在することから、安國寺へ寺名を改称したと伝えられている。その後、2017年の平成の大修理を機に寺名を元の「下野薬師寺」に戻し復古したとのことだ。こうした名刹が長期に渡り薬師寺の名称でなかったことの方が驚きである。
そんなことは、博識ある読者の方々はご存じであったと思うが、何分昔から無神論者である私は知らなかったし、校長先生のお話がなければ詣でることもなかったであろうと思う。

今回の取材先の「栃木県下野市立南河内小中学校」他は、今後のスクールアメニティ誌の中で詳しく掲載する。
次の機会には、戒壇院と鑑真大和上について触れたいと思う。

過去のスクールニュース → http://www.schoolnews.jp/category/schoolnews/
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